
“Definitely Maybe” / Oasis
1月16日にノエル・ギャラガーのソロライブを観た。ライブレポートやSNSでは、ノエルのパフォーマンスとセットリストに大多数が賛辞を述べていた。本当にすばらしいライブだったので、モヤモヤしたものを抱きながらも、そういうものなのだとあまり考えを巡らせなかった。
それからしばらくして、去年9月の単独ライブ以来はじめて、リアム・ギャラガー率いるBeady Eyeのデビューアルバム”Different Gear, Still Speeding”を聴いた。ノエルのライブ中、懐疑心みたいなものが常に自分の中にあったと実感した。今でもそれが”しこり”のように胸の中にあるのを確かめて、”The Roller”をストップした。
ある場所で、稀代のソングライターが手がけた数々のアンセムを自ら歌う。別の場所で、UKロック史上10本の指に入るフロントマンがバンドの全権を掌握してマイクに立ち向かう。経験と実力を兼ね備えた二人はそれぞれリスタートを切ったばかりだから、どちらかが、もしかすると両者が、時代遅れのバンドとしてOasisを更新する可能性はある。
しかし実際に、かつてこの二人が共存したOasisとはなんだったのか。
そこにはUKロックを象徴するすべてが詰め込まれていて、オーディエンスは皆、自分が最強だと感じることができた。そのど真ん中に、タンバリンを手にファイティングポーズをとるリアムがいて、ギターを構えた仏頂面のノエルがいた。
今後、10年に1枚の会心のソロアルバムを制作したとしても、簡単に片が付く引き算ではない。ノエルが”Supersonic”や”(It’s Good) To Be Free”を歌ったからといって埋め合わされる足し算でもないのだ。
“(What’s The Story) Morning Glory?”のリリース20周年が近い。自分も再現ライブで再結成を望むひとりだが、当の本人たちが前向きに話し合っているなど笑い話にもならないし、この際、再結成はこんなに近い未来じゃなくていいと思っている。
それぞれの単独ライブを観たことでOasisへの執着は増す一方だが、もう少しだけ遠い未来の再結成を信じて、それまでは二人のわがままを、悲しみの名のもとに嬉々として迎え入れるつもりだ。

